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「男たちの大和とその時代」 7   

2006年 02月 03日

戦艦大和の日常生活(兵員の休暇、上陸)
太平洋戦争の前期には上陸も頻繁にあったが、太平洋戦争も後半になると、大和は呉市に碇泊していることが多くなった。
大和乗船の新兵は、僅かに支給される給料(当時の記録では6円程度)から、貧しい親元に送金する新兵、しるこ屋に入るのがただ一つの楽しみという新兵、上官になると余暇の過ごし方も違ってくる。
後に紹介する内田二曹にも芸妓の恋人がいたようであるし、階級が上になると呉市の置屋に馴染みがいて、登楼していたという記述がみられる。

戦艦大和と武蔵は別格扱い
戦艦武蔵も大和と全く同じ超弩級の戦艦であった。構造も、乗組員の数も排水量、主砲、副砲なども同じであった。この二つの戦艦は他の船とは比べものにならない。ほかの艦ではクモの糸のようにハンモックを吊して寝る。そのスペースを片づけない限り、居住空間が無かったが、大和、武蔵は、三段式のベット、部屋の中央には10人以上が座れる檜でできたテーブルがあり、三度の食事、故郷への手紙をかいたり、くつろげる空間があった。

大和、武蔵の艦内の印象は全く他の艦内とは違っていたようである。別称「大和ホテル」、「武蔵御殿」と呼ばれていたのも分かる。
しかし戦争も後半になると、アメリカの空軍の攻撃に備えるために、艦内に高角砲などの増設のため、2300人の艦員が3000人に膨らんだ。
そのため居住空間も手狭になり、寝室にはハンモックも吊されるようになった。
砲塔のなかで仮眠を摂るのが別天地であったようだが、班長に見つかってこっぴどく叱られたという文献もみられる。

「いいよなー、大和の連中は、毎日旨いモノ食って、のんびり暮らしているんだから」とよく陰口をたたかれたという。
別称大和ホテルは、私が中国大連に住んでいた当時、豪壮なホテルであり、70ー80年前、当時としては旧満州のチエーン店として現にこの名前で点在している。
 このように大和の艦内の生活は、五味川純平の「人間の条件」に現れる陸軍の生活とは比べることはできない。最近仲代達也主演の「人間の条件」全6巻、総時間9時間のビデオをみたけれど、この陰惨を極める陸軍内部には、およそ人間らしい生活はなかった。あらためて現在の自由放縦な生活のありがたみを痛感する。60年前の数知れない日本兵の死と罪なき人々の死があり、現在があるということを忘れがちではあるが。

★ 一口メモ  従軍看護婦
 昭和12年の日中戦争の勃発により、従軍看護婦200名が動員された事に始まる。当時日赤戦時教護員と陸軍看護婦があった。
結婚しても子どもがいても、看護婦養成所を卒業してから、20年間、戦場に招集される義務があり、日中戦争から、太平洋戦争終戦まで約3万人、南方の島々で兵士と共に戦死した看護婦も多い。先日みた「人間の条件」の婦長は、泣く子も黙るような恐ろしい女性であった。


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by mikino70 | 2006-02-03 05:52

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