満州今昔物語 28   

2007年 07月 24日

旧満州鉄道の旅編 3(同期の女性、長春に9年目)
同期の女性と電話は20分以上つづいたであろうか。東京に残してきた母は急逝し、娘さんも結婚されて、帰国しても東京の家はないという。大学側も古希を過ぎた彼女を、実に篤いもてなしをもって接してくれるようである。
「何が気に入ったのか、私みたいなお婆ちゃん先生を大事にしてくれて、死ぬまで、この長春に住んだ方が良いのではないですか」と薦めてくれるという。
この数年日本からも、大学院卒の若い日本語教師がやってくるが、学生の評判はイマイチなのであろう。更新できずに帰国してしまう人が多いという。
それは彼女の人徳であろう。もちろん日本語の教授法にも優れているが、中国人学生たちは、なんと言っても日本のお母さんの懐に抱かれるような安心感を、ほのぼのとした安らぎさえも抱かせるのではあるまいか。
雑用に追われながらも、日々の教室での親切な指導、学生のレポート課題の点検、ノートの検査など、休むひまの無いほどの献身的な仕事ぶりが、命の続く限りこの大学に残って欲しいと言われているようである。
日本でははっきりとした定年制が敷かれ、「ハイさよなら」といわれるが、中国の大学での定年制はあるものの、彼女は特別なのであろう。
同年配の彼女の奮闘は、同期の私たちには名誉なことであり、いまなお日中友好の架け橋になっている彼女へ「本当にご苦労様です」と言いたい。

傀儡国家の元首の溥儀の宮殿へ
溥儀に関する書物も、中国で作成された10巻に及ぶ映画も見た。愛新覚羅溥儀(アイシンカクラフギ)彼ほど数奇な運命を辿った皇帝も存在しないであろう。
まさに清朝のラストエンペラー溥儀、3歳で西太后の推挙により、第12代皇帝になり、あの壮麗な北京の紫禁城で軟禁状態の少年時代を過ごす。
天津から遁れるときは、満映理事長の甘粕の世話に、東洋のマタハリ川島芳子の世話にもなりながら逃亡している。
満州事変勃発の時、関東軍は溥儀を元首とする国家の建設という事は考えてはいなかった。しかし満州事変は日本の謀略によるものであることは、国際的にも知れ渡ることになり、いきなり満州を日本の領土に組み込むことは出来なかった。
そこで考えられたのは溥儀を元首とする、いかにも親日的な政権の樹立であった。

前回この長春の溥儀の宮殿を見学したとき、見たこともない日本地図が大きく掲げられていた。韓国がすべて赤い色で塗りつぶされ、「日本国」と書かれていたことである。その歴史的な事実は分かっていても、それを目の当たりにしたときのかつての日本が韓国で、遼東半島で何をしたかが一瞬蘇ってきた。
第一夫人がアヘンのため廃人同様になってソフアに横臥しながら、アヘンを吸引する模型、蒋介石と溥儀が会見している部屋、見事な理髪室のようすなどは変わっていなかったが、韓国を「日本国」と書かれた地図もなかったし、関東軍のために劣悪な環境を強いられていた様子は、今回は見られなかった。瀋陽の「9.18記念館」も同じ感想である。展示物はどうして変えられてきたのか。
溥儀の幽閉されていた部屋

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by mikino70 | 2007-07-24 07:42 | 満州今昔物語

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